『ラーヤと龍の王国』が3月5日に映画館とディズニープラスプレミアムアクセスで同時後悔されます。
コロナ禍では映画館へ行くのも難しく、我が家でも昨年映画館で見た作品はピクサー作品の『2分の1の魔法』だけです。
少し時間がたっていますが、ネタバレありのあらすじとレビューを書いてみようと思います。
目次
『2分の1の魔法』作品情報
キャスト
イアン・ライトフット :トム・ホランド/志尊淳
バーリー・ライトフット:クリス・プラット/城田優
ローレル・ライトフット:ジュリア・ルイス=ドレイファス/近藤春菜(ハリセンボン)
マンティコア :オクタヴィア・スペンサー/浦嶋りんこ
グレックリン(質店の店主):トレイシー・ウルマン/新谷真弓
ガクストン(大学時代の友達):ウィルマー・バルデラマ/丸山壮史
フェンウィック:ジョン・ラッツェンバーガー/立木文彦
スタッフ
監督:ダン・スキャンロン
製作:コーリー・レイ
製作総指揮:ピート・ドクター
脚本:ダン・スキャンロン、ジェイソン・ヘドリー、キース・ブーニン
音楽:マイケル・ダナ、ジェフ・ダナ
監督は、ピクサー作品『モンスターズインク・ユニバーシティ』の監督を務めたダン・スキャンロン。
音楽は、ピクサー作品『アーロと少年』で音楽を担当したマイケル・ダナ&シェフ・ダナ兄弟です。
日本版のエンドソングはスキマスイッチの『全力少年』
『2分の1の魔法』あらすじ
科学や技術の進歩と発展によって、かつては当たり前のように使われていた魔法が消えかけた世界。
何をやってもうまくいかない内気な少年イアン、そんな彼の願いは彼が生まれる前に亡くなった父に会う事。
16歳の誕生日、イアンは、父が亡くなる前に母に託した魔法のつえと手紙を贈られる。
その手紙には“父を24時間だけよみがえらせる魔法”が記されていた。
だが魔法は失敗し、“半分”の足だけの姿で父を復活させてしまう。
魔法オタクで陽気な兄・バーリーの助けを借りて、イアンは父を完全によみがえらせる魔法を探す旅に出るが、残された時間は24時間しかなかった…。
以下、ネタバレありのあらすじです!
冒険の旅へ
妖精(エルフ)たちが暮らす世界は、かつては当たり前に魔法が使われていましたが、科学や技術の進歩と発展により、魔法はすっかり過去のものとなっている。
そんな世界で、兄バーリーと母ローレルと三人で暮らす少年イアン。
イアンの性格は内気で、学校生活も好きな女の子へのアプローチなどやりたいことリストを書いてみるが、なかなか叶わずチェックが付かない。
兄のバーリーは魔法オタクの変わり者で、様々なトラブルを引き起こしていた。
ローレルには警察官のコルトという恋人がいるが、今日も取り壊し予定の噴水の前で居座ったバーリーともめていた。
父親ウィルデンはイアンが生まれる前に病気で亡くなっていたが、イアンは一目父親と会いたいと思っていた。
16歳の誕生日の日、イアンはハンバーガーショップでウィルデンの友人と出会う。
彼からウィルデンはとても大胆な性格だったと聞き、内気なイアンはウィルデンに会いたいと強く思う。
その夜、イアンはローレルから16歳の誕生日プレゼントに、ウィルデンから託された”魔法の杖”と”不死鳥の石”と手紙をもらう。
手紙には「死者を24時間よみがえらせる魔法」の呪文が記されていました。
バーリーが魔法の杖に不死鳥の石をはめて呪文を唱えるが、何もおこらない。
しかしイアンが唱えたところ、父親の体が足先から現れ始めた。
しかし手伝おうとしたバーリーに気を削がれ、魔法は途中で失敗してしまい、父親は下半身だけの姿でよみがえってしまう。
ウィルデンを完全復活させるためには、24時間の間に”不死鳥の石”をもうひとつ探し出し、魔法の呪文を唱えなければならないとバーリーは主張。
二人は旅に出る。
三人の旅
バーリーは「歴史に基づいて作られているボードゲーム」の知識を頼りに、自信満々に”不死鳥の石”への道を進む。
イアンは半信半疑でありながらも、兄の強い主張に折れて「マンティコアの酒場」「カラスダケ」と辿っていく。
下半身だけの父親を連れての旅は大変だが、少しずつコミュニケーションをとり、イアンは父親と触れ合っていく。
一方、母親のローレルも二人が危険な旅に出たことに気付き、後を追う。
旅の途中で様々なアクシデントが起きると、イアンは魔法の杖でなんとか切り抜けようとするが、なかなかうまくいかない。
それどころか、バーリーと仲違いに発展してしまう。
そんな険悪な雰囲気を一変させたのは、下半身だけのウィルデンが躍るダンスだった。
三人でダンスを踊り、イアンは自分が主張する高速道路ではなくバーリーの選んだ道を進むことを受け入れる。
兄との絆
コルト達警察に追われる中、イアンとバーリーはカラスダケでカラスが指し示す”不死鳥の石”への道を発見する。
それは高速道路を進んでいたら見つけられない目印だった。
兄を信頼し始めたイアンは少しずつ自分に自信をもち、魔法が成功するようになる。
数々の困難を乗り越え、最後の扉を開いたイアンがたどり着いた場所は、なんとイアンの高校だった。
長い旅を続けたにもかかわらず、スタートの町へもどってしまったのだ。
最後の瞬間
選択が間違っていたのだ、とバーリーを責めるイアンは、ウィルデンを連れて離れて行ってしまう。
しかし、自分が小さい頃から父親がわりに助けてくれたのはバーリー。
そしてウィルデンが復活したらやりたかったことリストは、全てバーリーが叶えてくれたことに気付き、バーリーの元へ戻る。
もう日没で、ウィルデンの姿が消滅してしまう直前。
バーリーは取り壊し予定だった噴水に”不死鳥の石”があることに気付いて手に入れるが、それを取り返そうとドラゴンが現れる。
そこへ二人を追い続けてきたローレルがマンティコアと共に現れる。
マンティコアは長らく忘れていた魔法を使ってローレルを運び、ローレルは魔法の剣でドラゴンと戦う。
その隙にバーリーはイアンに”不死鳥の石”を渡し、二人で力を合わせて魔法を発動させるが、ドラゴンにより魔法の杖を壊される。
ウィルデンは徐々に姿を現すが、あと少しで日没となってしまう。
バーリーは父親が亡くなる時、怖くて病室に入れずお別れを言えなかったことを後悔していた。
イアンは、バーリーがウィルデンに会うべきだと思い、自分はドラゴンに立ち向かう。
イアンはローレルと力を合わせてドラゴンを倒し、遠くからウィルデンとバーリーを見守る。
ウィルデンがバーリーを抱いたのと同じように、バーリーはイアンを抱きしめる。
エンディング
そして日常の生活が戻ってくる。
イアンは内気な性格を克服し、学校生活もうまくいっている様子。
そして世界は少しずつ魔法を取り戻してきているようだった。
『2分の1の魔法』感想
ディズニーらしいスピードある展開と美しい映像で、ダレることなく最後まで見られます。
特に冒険に出かけてから最後の扉をあけるまで、息をつけない展開ですね。
ただ長い冒険の中で、特に印象に残るような景色がなかったな・・・と思います。
特にボートに乗ってからの遺跡の世界は「ジャングル・クルーズ」のラスト?というデジャヴ感があり、新しさは感じませんでした。
そしてクライマックスの父親との再会シーン。
私は娘が3歳の時に夫を亡くしているので、その経験と重ねて滂沱の涙となるか?と思っていましたが、そうでもありませんでした・・・。
親目線なので、子供の側の目線で見られないのかもしれません。
娯楽作品としては面白い作品でしたが、「すごくよかった!」「感動した!」という感じではありませんでした。
そして、ふつふつと芽生えた疑問があります。
なぜエルフの世界を舞台にしたのか?
なぜエルフを主人公にしたんでしょう?
魔法が使えないなら、エルフでなくてもいいのでは。
最終的に魔法が見直されて使われるようになっていましたが、「魔法が使えるのはいいことなのか?」と疑問がわきます。
エルフという生き物は、日本にはあまりなじみがありません。
エルフは「妖精」と訳されますが、ティンカー・ベルのような妖精(フェアリー)とは別物です。
エルフはゲルマン神話に登場する妖精で、美しい外見、耳が長く尖っており、長命であるのが特徴です。
森の中に集団で暮らし、プライドが高く保守的で魔法の力を持っているらしい。
『2分の1の魔法』ではイアンにもっと特徴を出すため、鼻を「ロバのような鼻」に描いたそうです。
ディズニーでエルフといえば、クリスマスのエルフです。サンタクロースの助手で、サンタクロースのおもちゃ工場でプレゼントを作っています。
ストーリーの主軸は家族愛・兄弟愛ですが、その中にも「魔法が消えかけた世界に、魔法を取り戻す」というテーマがあります。
この「何かをとりもどす」舞台をファンタジーの世界にすることで、リアルすぎることなく楽しめる娯楽作品になったのかもしれません。
魔法が使えるのは素晴らしいことなのか?
しかし「魔法」というテーマが曖昧だったな、と私は感じました。
人間にとってと、エルフにとってとでは「魔法」の意味合いが違います。
人間にとっては魔法はそのまま「魔法=不可能を可能にすること」だけれど、エルフにとっては「魔法=手段、方法」に過ぎないように思います。
父親を24時間だけ生き返らせるのはまさしく「魔法」だけれど、空を飛んで目的地へ早く着くことは「手段」「方法」ですよね。
そのあたりが混在してしまっていたように思います。
科学や技術が発展したので楽をするようになり魔法を使わなくなった、という設定ですが「魔法を使うこと」の方が楽しているように感じがしませんか?
魔法はどうしても使わないといけなものなのか?
ピクサーは「ファンタジー30%」「リアリティ70%」という比率を黄金比とし、舞台がファンタジーの世界であるからそれ以外の設定や登場人物の性格などはなるべくリアリティに近づけて物語のバランスを取ったのだそうです。
しかし私としては、登場人物(エルフ以外にもドラゴン、ピクシー・ダスターズという小さい妖精など)が30%よりも比重が重すぎて、逆に彼らが人間と同じように魔法が使えず普通に生活する、というリアリティが滑稽に思えてしまいました。
映画の最後では、魔法が世界に戻って来たように描かれていましたが、どの点が評価されたのでしょう?
ドラゴンを倒したところ?魔法を信じる心の豊かさ?
その辺りの説得力に欠けていたように思えます。
なぜ父親は○○としか会えなかったのか?
(ネタバレなので伏せました)
ダン監督は1歳の頃に父親を亡くしており、「もし一度だけでもお父さんに会えたら…」という想いが本作を製作するきっかけになったという。「足だけにする」というインスピレーションは斬新で素晴らしいけれど、足だけで観客が感情移入できるように描くことはとても難しかったそう。
しかし上半身がなくても、ふれたりリズムを刻んだりすることでコミュニケーションをとり、「全身を復活させて、顔を見たい。会って話がしたい」という気持ちをかりたてます。
例えば失くした大切な人と、下半身だけでもコミュニケーションをとることができたら、誰もがうれしいのではないかと思います。
この過程が、冒険の旅の中で描かれています。
その時間があったからこそ、イアンは父親と会うことができなくても後悔はなかったのかもしれません。
一方で、顔を見て最後にお別れを言えなかった後悔があるバーリーは、顔を見て伝えることで前へ進めることができたのかもしれません。
そして母親ローレルにとっては、ウィルデンはずっと心の中にいるのでしょう。
まとめ
結論から言って
「面白いお話で見て損はないけど、映画館で料金を支払って見るほどでもないかな」
という評価です。すみません・・・。
感動的ではありましたよ、ハイ。ただ、後に残るものはありませんでした。
それからたくさんのレビューにも書かれていたのですが、ディズニーはもう少し吹替え者を選びませんかね。
ストーリー観衆のケルシー・マンは「トムの不器用な10代の演技は完璧だった」とイアン役のトム・ホランドを絶賛しています。
イアン役に限らずですが、せっかくこれだけの時間とお金をかけて作る作品が、日本に届いて吹替えを入れるだけで全く違うものになってしまうのが大変残念です。
この映画は字幕で見ることをお勧めします。