大人向け作品になりきれなかった残念な『ソウルフルワールド』(ネタバレあり)

2020年12月25日にDisney+で公開となった『ソウルフルワールド』。

その前に劇場公開された『2分の1の魔法』がまだDisney+で配信されていないのに、『ソウルフルワールド』はプレミアムアクセス追加料金を払わずに視聴できます。

また音楽を担当したジョン・バティステのテレビ出演をたまたま見て、ゴールデン・グローブ賞のアニメ映画賞と作曲賞を受賞したと知り見てみることにしました。

『ソウルフルワールド』あらすじ

ニューヨークのセブンティ中学で生徒たちに音楽を教える非常勤講師のジョーは、ジャズピアニストになることが夢。

そんなジョーに非常勤講師から常勤の正式採用の話が来る。母親は安定した暮らしができると喜ぶが、ジョーはジャズミュージシャンの夢を捨てきれず悩む。

そんな彼の元へ、プロサックス奏者ドロシア・ウィリアムズとのバンド演奏に参加しないかと、元教え子から誘いの電話がかかってくる。

ドロシア・ウィリアムズの前でピアノを演奏し、その腕を認められたジョーは、その夜にライブに参加するように言われる。

やっとジャズミュージシャンになる夢が叶ったと舞い上がって歩いていたジョーは、マンホールの穴に落ちてしまった。

目を覚ますと、ジョーは丸みのある水色の姿になって、暗い知らない世界にいた。

同じような姿の人たちががどんどん頭上の光の方へ進んで行くが、その先は死後の世界だった。

死んだことを認められずどうしても夜のライブに行って夢を叶えたいジョーは、その世界を逃げ惑い「生前の世界」へ迷い込む。

そこにはたくさんのソウル(生まれる前の魂)がいて、ジェリー(宇宙のあらゆる場を量子化しひとつにした存在)たちの保護のもとで生まれる準備をしていた。

ソウルたちはひとりひとり個性をもち、その要素でバッジの枠を埋めて行く。

個性が全部完成された時にバッジのすべての枠が埋まり、バッジは通行証となり地上へ下りることができるのだ。

最後の枠「きらめき」を見つけるため、ソウルたちはユーセミナーという場所でメンター(指導者)たちから助言を受ける。

ジョーはメンターのふりをしてユーセミナーに参加し、そこで地上に降りたくなくて何100年もそこに留まっているソウル22番と出会う。

22番が通行書を手に入れたらそれを使って元の世界へ戻ろうと画策したジョーは、22番の「きらめき」を見つけようとする。

「万物の殿堂」で「きらめき」を見つけさせようとするが、「22番」の心はなかなか動かない。

今夜のライブにどうしても出たいジョーは「二人で地上へ行こう」と誘た。22番はジョーの世界に興味を持ち、手助けをしてくれるムーンウィンドの元へ行く。

ムーンウィンドは地上で集中している状態でゾーン入っており、不安や強迫観念に駆られて魂を失ってしまった人間を仲間たちと一緒に救っていた。迷子の魂をつかまえ、元の体へ戻すのだ。

ムーンウィンドの協力で地上の病室で眠っているジョー(の体)を見つけることが出来たが、早く戻ろうと慌てたジョーの魂は、そばにいた猫の体に入ってしまい、ジョーの体には22番が入ってしまった。

 

ジョーの体(22番)と猫(ジョー)は、元の体に戻るために病院を抜け出し地上にいるムーンウィンドを探しに行く。

地上の世界が怖くてたまらなかった22番は、ジョーの体を通して美味しいものや美しいものを知って行き、新しい世界を感じていく。

しかし生前の世界では、計算係のテリーが魂の数が合わないことに気付き、原因がジョーだと気づいて探しに降りて来ていた。

22番は「もう少しで自分のきらめきが見つけられるかもしれない」と思うが、ジョーは「それは俺の体にいるから感じるだけだ」と主張し、ムーンウィンドに自分の体へ魂を戻してもらおうとする。

もう少し地上に残りたい22番は逃げ出すが、追いかけるジョーの魂とともに

22番は「自分のきらめきが見つけられるかもしれない」と地上に残りたがるが、テリーに見つかり連れ戻されてしまう。

『ソウルフルワールド』あらすじ(※ネタバレ注意)

生前の世界へ連れ戻された二人。

「あと少しで体に戻れたのに!」と怒るジョー。

「あとちょっとできらめきが見つけられたのに!」と怒る22番。

しかし22番のバッジは全ての要素がうまり、通行証に変わっていた。

22番は地上へ行くことになり、ジョーは地上へ見送る役目をジェリーから任される。

「きらめき」が見つけられないまま地上へ行く不安を抱える22番に、ジョーは「最後の枠が埋まったのは自分の「きらめき」(=音楽)のおかげだ!」と怒りをぶつける。

22番は通行証をジョーに投げつけて行方をくらましてしまった。

ジェリーはジョーに「きらめきは生きる意味ではない」と言った。

しかし音楽が自分の生きる意味だと信じるジョーは、22番の通行証を使って地上に戻る。

そしてライブで素晴らしい演奏をして拍手喝采を受け、母親にも称賛される。

夢を叶えたジョーだったが、なぜか心は満たされなかった。

「自分のきらめきとは何か?」

ピアノを弾きゾーンに入ったジョーはムーンウィンドと再会し、一緒に迷える魂となった22番を探す。

22番はきらめきを見つけられず、「生まれる理由がない。生きる意味がない」と、さまよっていた。

そんな22番にジョーは誤り「「きらめきは生きる意味じゃない。最後の枠は生きる準備ができたときに埋まるんだ。」と生前の世界へ連れ戻す。

ジョーは通行証を22番へ返し、怖がる22番と一緒に途中まで共に行って見送る。

ジョーはもう地上へ戻る手段はなく、それでも満足して死後の世界へ向かう道へ戻る。

しかしジェリーが現れ、ジョーへ感謝を述べた後にもう一度地上へ戻るチャンスを与える。

 

THE END

『ソウルフルワールド』個人的感想

最初の15分くらいは面白かった

海外での評価はすごく良いらしく、日本でも検索してみると「大人向けの話」と高い評価のクチコミをたくさん見かけます。

が、私の中では50点以下です。

最初の約15分はそこそこ面白く見ていたのです。

が、人間の世界へ戻ってジョーが猫の体へ、22番がジョーの体に入ってしまったところで、

 

は?

 

と一旦停止してしまいました。

こういう、古くは『転校生』新しいところで『君の名は』的な入れ替わりものってすごく多いですが、もういい加減お腹いっぱいだし、何が面白いんだろう?と思います。

入れ替わってしまうことでの本人たちの大慌てぶりやドタバタ、トラブルなどがわざとらしいというか「見てて面白いでしょ?」という作り手の安易な考えでしょうか?

それと『ソウルフルワールド』という題名だったし、予告編を見てソウルたちがたくさんいる世界の話かと思っていたら、地上へ戻って来てしまったからビックリ。

(ちなみに”ソウルフル”とは魂のこもった、感動した(ような)、非常に感傷的な、という意味らしいです)

でもそこは、予告編にもなかったことから考えて、観客を裏切る展開としては受け入れられます。

しかしそ地上と生前との世界の狭間に「ゾーン」という都合のいい空間を作り、「ゾーンに入る」という曖昧な方法で行ったり来たりするのは納得できない。

ゾーンの定義やムーンウィンドの立ち位置があやふや。

それを言えば、ジェリーたちの立場もあやふや。

(あの線のようなデザインは斬新で面白かったですけど)

映像は、素晴らしく美しい

そこで一同視聴をやめてしまいましたが(そこが配信のいいところ?)それでも頑張って最後まで見ました。

作品的には、この魂の入れ替わり部分が一番のキモ部分だとは思うのですが、猫になったジョーの勝手な言い分にイライラ。

ピクサー作品、こういう自分勝手なキャラクターがよく登場する気が←自分の目的に一生懸命すぎて人の話を聞いてないやつ。

(最初の「トイストーリー」のウッディがそうだったな。)

一方22番のわがままキャラもかわいいとはいいがたく、感情移入がなかなかできないまま進んで行きました。

それでも、ジョーのライブ後~自分の部屋でピアノを弾き始める前までの映像はとても綺麗で感動を誘いました。

ジャズミュージシャンとしての成功を手にいれたのに満たされない気持ち、22番を通して追体験した気持ち、生まれてから今までのたくさんの「きらめき」を感じた瞬間。

初めて経験する瞬間、美味しいものを食べた時、きれいな光を見た時、人との暖かさを感じた時。

ニューヨークの風景もとても美しく描かれていました。

結局伝えたかったことってなに

地上で生きて行く決心がついた22番と、それを見送るジョーとの別れ。

ジョーは生きていたことの幸せを実感して死後の世界へ・・・とちょっと感動的だったのに、まさかのご褒美で地上へ帰ることができてハッピーエンド。

 

は?(二度目)

 

こんなに安易にまとめるとは・・・。子供でも納得しませんよ。

「死」ってそんなにいい加減なものなの?

(と、夫と父と母を亡くした私はちょっと怒りを覚える)

そして最後の結びがこれまたとんでもなく陳腐。

 

ジェリー「向こうでは何をしますか?どんな人生を送ります?」

ジョー「まだわからない。でももう決めてる一瞬一瞬を大切に生きるよ」

 

なんて ありきたり!!!

英語字幕を見たら「I’m Going to live every minute of it.」とあったので、翻訳での勝手な解釈でもなさそう。

そしてそれで突然の終了、THE END。

100歩譲って、ジョーが生き返るなら22番がどんな感じに生まれたのか知りたかった!

 

脚本を手掛けたケンプ・パワーズ氏によると、実は22番のその後のシーンを含むエンディングが準備されていたとのこと。

それは、22番がジョーの音楽の生徒として登場するというもの。新入生として22番がジョーの前に現れ、ジョーは彼女が22番だということに気づきます。

「しかし(もう1つのエンディングは)本質的に満足できない何かを感じたんだ」とパワーズ氏は語っています。

観客が、登場人物がどうなったのかを知りたいのはわかります。

『登場人物が正しい選択をしたのだろうか』について知りたいのです。

でもジョーの場合、そのような選択肢を与えたくありませんでした。

バンドで演奏したのか、教師になったのか、または両立したのか。

ジョーが何をしたかに関わらず、彼は素晴らしい人生に感謝しながら生きているということを(観客に)伝えたかったのです。

だそうです。

そこは観客の想像に任せるのね。

だったら、「一瞬一瞬を大切に生きよう」なんて勝手に理屈っぽくまとめちゃだめじゃない!?

ピクサー作品はエンターティンメント重視でいいんだよ!

多少はあってもいいけど、見る側の解釈に任せとけばいいんだよ!

それでも『ソウルフルワールド』心に残ったところをさがしてみる

二点だけ、「深いかも?」と心にとまってメモした点はあったので、書いておきます。

「生活」って何なのか

22番が地上の生活に少しずつ慣れ、もっと地上にいたいと思い始めた時のジョーとの会話。

22番「空を見るのがきらめきかな?それとも歩くことかな?歩くのすごく上手でしょ?」

ジョー「そんなの人生をかけることじゃない。ただの生活だよ。」

ジョーは後でこの会話を思い出します。

確かに自分が初めて歩いた時の気持ちは覚えていないけれど、赤ちゃんが初めの一歩を踏み出した時まわりが感動しますよね。

小さい子供は道をまっすぐ歩かず、縁石にのぼったり白線の上を歩いたり。

歩くこと、食べること、聞くこと、見ること。だんだんそれは当たり前になっていく。

エレファントカシマシの歌で、下記のような歌詞があります。

敗北と死に至る道が生活ならば

あなたのやさしさをオレは何に例えよう

生活」は大事にもかかわらず、あまりいい意味に使われない気がします。

生活のために働く」「日々の生活に追われ」など。

生活」ってなに?と考えます。(「きらめき」ってなに?よりもこっちの方が気になる)

今いるところは海か水か

ずっと夢見ていた瞬間が思い描いていたものと違う、ととまどうジョーにドロシアが行った言葉。

「昔ある魚の話を聞いたことがある。

その魚は年寄りの魚にいう。

”ぼくは海ってものを見つけたいんです。”

”海だって?”年寄りの魚はいった。”今いる場所だよ”

”これ?これは水です。僕がほしいのは海なんだ”」

 

さすがジョーと違ってドロシアは悟ってますね。

夢を叶えたと思った。でも結局、次の夜も同じ場所へ来てライブをする。同じことの繰り返し。

これぞ、生活。

 

でも、この二か所が深いからといってこの映画が「大人向けの作品」というのは間違い。

こんなことを映画の冒頭から最後までずーーっとジョーがぐちぐち考え続けている、というお話でした。

おまけのトリビア

ジョーのリアルなピアノ演奏は、音楽を担当したジョン・バティステが実際に演奏したパフォーマンスをアニメーション化したものだそうです。

完成した映像を見て、ジョン・バティステ自身もそのリアルさに驚いたそうです。

(↓ジョン・バティステがピアノを弾いている映像があります)

それから、なぜ”22番”なのか?とかなり調べてみましたが、これは諸説あるようではっきりしませんでした。

染色体番号という説がありますが、22q11.2欠失症候群はデリケートな問題なので炎上を避けるディズニーが題材とするかな?と思ったり。

映画にもなった小説『キャッチ22』からきている<八方塞がりな状況>という説もあります。

小説のタイトルは英語で「ジレンマ」「どうあがいても身動きの取れない(状況)」を指すスラングとして定着したそうです。

これは小説全体のムードと併せ、特に小説中の軍規22項の運用(例えば、狂気に陥ったものは自ら請願すれば除隊できる。ただし、自分の狂気を意識できる程度ではまだ狂っているとは認められない、としたもの)から来ている。

こっちの方が有力な気がします。