トイストーリー4を見てどう思いましたか

「トイストーリー3」から9年の月日を経て公開された「トイストーリー4」。

日本でも夏休み前公開ということで、そこそこ(苦笑)ヒットしましたよね。

が、その評価に関しては賛否が分かれるものでした。

私は少し遅れて8月頭に鑑賞しました。

みなさんは観ましたか?そしてどう思われましたか?

 

ラストに賛否両論

個人的な鑑賞として。

作品としては、大変面白かったです。

新しいキャラクター達はどれもに魅力的だったし、映像も本当に綺麗で素晴らしかったです。

公開から久しいのでネタバレしてしまいますが、「トイストーリー4」のラストでは、ウッディはボニーのおもちゃであることをやめます。

仲間たちと別れ、ボーピープと共に「迷子のおもちゃ」として自由に生きていくことを、自分で選びます。

そのラストが、今まで一貫して描かれてきたテーマやウッディの信念を真っ向から覆すものではないか?ということで賛否両論なのです。

個人的な感想

私の個人的な感想から言えば、最後のウッディの気持ちはわかるし、その選択を受け入れることができます。

ただそこに至るまでの心情の変化を、ストーリーの中で納得できるほど読み取ることができませんでした。

フォーキーを助けるためのバタバタが、過剰だったせいかもしれません。

また仲間たちとの別れもあっさりすぎて唐突な印象だったので、今までのウッディの信念を考えると全く理解できないのです。

他にも理解できない点、不満な点がそこそこあります。

仲間たちの出番が少ない!

出番が少ないだけでなく、お別れがあっさりすぎじゃありませんか!?

あれほど信頼関係があったはずの仲間たちが、ドタバタしていただけで何も葛藤が描かれていなかったのが残念。

一番出番があったバズでさえも、「心の声」に振り回されるコミカルなシーンばかりでした。

みんなお互いに命がけで助けに行き、「トイストーリー3」では炎に焼かれそうになった時は一心同体だったのに。

今後、ボニーに飽きられて一人また一人とバラバラになって行くのでは?と将来を憂います。

ギャビーギャビーの役割は?

悪役キャラのギャビーギャビーとベンソン。

そのキャラクター性はすごく好きなんですが・・・。

悪役としてはシドやロッツォより断然弱いし、「子供と遊んだことがない」というキャラとしてはプロスペクターの二番煎じ。

ハーモニーも何のために登場したのかわかりません。おもちゃを大事にしない女の子としては、キャラ不足だと感じました。

そしてウッディは何のためにボイスボックスを奪われたのでしょう?

完全なお人形になってもハーモニーに選ばれなかったギャビーギャビー。

最終的に「ボイスボックスがなくてもかわいがってくれる子供」の元へ行ったならわかるけど、ただ迷子の女の子に拾われて終わり。

ボイスボックスを失ったことで、ウッディは自由になったのでしょうか。

おもちゃの扱いがひどい

「トイストーリー」を見ることで、「もっとおもちゃを大事にしよう」という気持ちを持った人も多いはず。

それにアメリカは日本よりも寄付やフリーマーケットが浸透しているので、遊ばなくなったおもちゃも次の場所があって素晴らしいな、と思って今まで見てました。

でも、今作ではおもちゃへの扱いがひどいような気がします。

アンティークショップで「公園に連れて行きたいから」ともらったウッディを失くしても、気づかないハーモニー。

拾ったお人形をそのまま持ち帰る、迷子の親。

おもちゃを踏みつけるボニーの父親。

この映画を見て、「おもちゃを大事にしなきゃ」と子供が思うんでしょうか。

自分が飽きてもおもちゃは自分で生きて行くから大丈夫、とか思わないかな。

今作では人間がどれもダメでしたね。アンティークショップのおばあちゃんしかり、幼稚園の子供たち、ボニーとその両親。

救いとなるような人間が描かれなかったのが残念です。

アンディはトイストーリーの良心だったのですね。

ボーピープの説得力

ボーピープは好きだし、4で戻ってきてくれると聞いてとても楽しみにしていました。

映像もとても綺麗だったし、魅力的なキャラクターですね。

1,2と比べてだいぶキャラクター設定が変わってしまった気がしますが、「強い女性」は今の時代に合っていていいんでしょうね。

最後にウッディとお別れしなくて済んだのも、ほっとしたのは本当の気持ちです。

ただ「子供の気は変わる」という価値観が、ウッディの気持ちをどうして動かせたのかは少々疑問です。

子供は気が変わる、成長する、というのは当初からずっと普遍的なテーマだったと思うのです。

そこを何度も何度も乗り越えての3のラストだったと思うのですが・・・。

それに、そもそもボーピープって「おもちゃ」じゃない、ランプですよね。

子供に寄り添ってはいるけど、「一緒に遊ぶ」というものではない。

最初から立ち位置が違う気がするんですが。

ウッディの信念は?

ウッディは「おもちゃは子供のそばにいるべき」が信念でした。

アンディのおもちゃでなくなってしまった今、「特別な誰かの」おもちゃではなくなってしまったかもしれない。

そしてボニーの「特別なおもちゃ」にはなれなかった。

”だから、ウッディが「誰かのおもちゃ」の責務をやめてもいいんだよ。”

そう説得力をもたせたいのか、ウッディがボニーに邪険に扱われたり、ウッディがボニーの名前をアンディと言い間違えたり、何度も何度も伏線は出てきました。

その部分が長年のトイストーリーファンから反感を買うと、ピクサーはわかっていたはずです。それでも、このお話を作りたかったのでしょう。

なんといっても「あなたはまだ本当のトイストーリーを知らない」がコピーですからね。

古本にて入手した「THE ART OF トイストーリー3」

冒頭には「トイストーリー3」への制作を始める時の思い、そして巻末にはどうやってあのラストが完成したかについて書かれていました。

ウッディたちはアンディに遊んでもらえなくなっても、長い間”アンディのおもちゃ”としておもちゃ箱の中で待っていました。

それがおもちゃの使命だと思っていたからです。

最終的に、ウッディは大学へアンディと行けたのに、仲間たちと共に「子供と遊んでもらうため」にボニーのおもちゃになりました。

あのラストで肩を組んでいたウッディとバズ、それを覆すほどの説得力が4にはありませんでした。

ウッディは「おもちゃ」として生きることを放棄して「個人」として生きることに決めました。

その選択もわかるのですが、「おもちゃ」の話を長く描いて来た「トイストーリー」でやる必要があったのしょうか?

トイストーリーへの思い入れ具合で、評価が分かれる

特に思い入れがなければ、「トイストーリー4」はストーリーとしてはすごく面白いです。

「トイストーリー」に対して思い入れが強い人ほど、拒否反応が強いのだと思います。

1の公開が1995年(日本では1996年)なので、それだけ長く愛されてきているのです。

そして2から3までの間隔が長く、3であれだけ完璧なラストを描いたのになぜ・・・という気持ちが強いのだと思われます。

私は1から3までリアルタイムで見たことはなく、どちらかといえば思い入れは薄い方かもしれません。

私は続編は必要ないと思うタイプです。

でもトイストーリーは2も素晴らしかったし、月日を経た3は本当に完成されたお話だと思いました。

一貫したテーマ性と、変わってしまった時代や環境をも味方につけ、過去を尊重し未来の可能性を感じる作品でした。

いろいろ討論した結果、我が家的には「トイストーリー」は3で完結ということになり、4についてはスピンオフというか番外編という受け止め方をして気持ちを収めています。

それでも・・・。

前のピクサー作品「インクレディブル・ファミリー」鑑賞後、その感想を子供と話し合うことはありませんでした。

(ストーリーさえ覚えていない(^^;)

が、「トイストーリー4」に関しては鑑賞直後から数日間かも、なんども話し合いました。

それだけ素晴らしい作品であったことには間違いありません。

 

 

「トイストーリー4」のアートブックも手に入れましたが、残念ながらアート以外の制作秘話は読み取れませんでした。

(英語版なのでそのせいもあり(^^;)

 

The Art of Toy Story 4

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